2009年05月 - Aquarius

今年の講演会 




ベンジャミン・クレーム氏の講演会を楽しみにしていましたが、
想定外のことが起き、結局行けませんでした。 
ああ、残念。年に一度の機会だったのですがね~ 
一度クレーム氏の話を聴くと、何度も聴きたくなるものなのです。
講演会ではリピーターが結構多く、聴衆はいつも熱心に耳を傾けています。
よく知っている話でも直接クレーム氏から聴くと元気をもらえますからね。
今年は奇跡の星について何か話があったのでしょうか。

講演の新聞広告が出たのは5月のゴールデンウィーク中でした。
その後、再び広告が出たかどうかはわかりませんが、
これを見て実際に会場に足を運ぶ人はどの位いたのでしょう。
2500人も入る借施設を借りたらしいですが、満員になったとしたらすごいです。

来年はどうなるのでしょうか・・すでにマイトレーヤーは現れているでしょうか。 
マイトレーヤの出現後はクレーム氏の伝道師としての役目は終わり、世界中を回るのを辞めるのでしょうか。

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死の矮小化? 

昔は輪廻というものを全く信じていませんでした。
人間が自分たちを励ましたり、慰め合うために作った話だと思っていました。
でも本当かもしれないと思った時はすごく勇気付けられましたね。
今の人生一回しかないと考えるより、まだ何回もチャンスがあると思っているほうがずっと楽ですから。
だからといって、今の人生をダラダラ生きるというわけではありませんが。(笑)

輪廻転生だけでなく、幽霊や霊もあり得ないと思っていたので、
このようなことを迷信だと思っている人の気持ちはある程度わかる気がします。
ただ、そういうものを信じることが危険だと嘆いたり、心配する人がいると、なぜだろう、と思ってしまいます。

前世や霊を信じるのは理性を失った証拠だと受け止めるのでしょうか。
宗教とか信仰によって常識がなくなってしまうのを恐れるのでしょうか。
「常識」というものも、なかなか難しいですけどねー
「オーラの泉」の内容を非常識だと思っている人もまだまだ多いかもしれないです。

死者の映像についてコラムを書いた清水義範氏も「若い人の多くが、前世とか、輪廻ということをかなり本気で信じたがっている。それはつまり死の矮小化である」と嘆いています。ゲームやフィクションの中で幽霊がいると空想するのはいいが、現実にいると思うのはよくない、という立場です。
「死というものを妙に小さく受け止めようとする傾向がある」と心配しています。

このくだりを読んで、私にはない感覚だな~と思いました。確かに最近、死んだ人とのつながりを描くドラマは多いですが、それが「死の矮小化」とか「小さく受け止める」傾向だと一度も感じだことはないです。むしろ、テレビや映画界でも霊の世界を認めるようになり、いい傾向になったと思っています。
でもこれは死後を信じるか、信じないかによって、相当見方が変わるものなのでしょうね。

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今日も「オーラ」がない 

今日も「オーラの泉」がありませんね。
ちょっとさびしい。毎週最も楽しみにしていた番組ですが、各週でなくなり、いつの間にか月一度くらいの頻度になってしまったようです。
先ほどホームページを見ましたが、5月30日に「サタスペ!」の中で放送されるとのこと。えぇ~
番組がゴールデンタイムになり、江原啓之氏はますますゲストへの発言に神経を使っていると思います。
番組を辞めたいと思ったことが何回かあるようですが、美輪明宏氏に叱咤激励されて、これまでやってきたとのこと。 これからも続けてくれるのでしょうか。これからの「オーラ」が気になります。

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死者の映像 

亡くなった有名人の映像を使ってテレビコマーシャルを使うのはよくない、という意見を最近新聞のコラムで読みました。
「人生で一度も言ったことのない広告のセリフを言わせるのは失礼」だし、故人にはCMを拒否する権利がないからこそ、生前の映像のCM利用はやめるべきだ、と作家の清水義範氏が書いていました。
なるほど。そう言われてみればそうですね。
私も今まで何となく、そういう広告を見るとどこかで腑に落ちないところがあったのですが、やはり亡くなった人の意向を確認できないことが問題なのでしょうね。
たとえ遺族などがOKを出しても、本人がどう考えていたかは普通は確かめられませんからね。
ただ、あの世へ行った人は自分の映像をCMなどで使うな、と強く反発する人は実際あまりいないのではないか、とも思うんです。
この世のことにそれほど関与しなくなるのではないでしょうか。
余程悪い風に映像を使わってしまう場合は別として、怒ることもないような気がします。
でも確かに、コマーシャルやフィクションなどの映画では故人の映像ではなく、そっくりさんに演じてもらう方が良いと思います。 
清水氏のように「死んだ人の映像を勝手に使うのは冒とくだ」とまでは思いませんが。

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飯田史彦氏 


アマゾンのサイトで「生きがいの創造」の著者飯田史彦氏の新しい本を見つけました。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url?_encoding=UTF8&search-type=ss&index=books-jp&field-author=%E9%A3%AF%E7%94%B0%20%E5%8F%B2%E5%BD%A6
表紙に飯田氏の写真が!著者の顔写真を今回初めて見ます。
説明を読むと、今年の3月に福島大学の教授を辞め、スピリチァル・ケア研究所『光の学校』を開設されたとのこと。 え~、そうだったのですね~
大学で教えていたときも「追っかけ」がいたようですから、きっと多くの生徒が集まるでしょうね。
今は自由に活動できる身になったわけですから、江原啓之氏のようにスピリチャル関係のテレビ番組に出演するということもあるのでしょうか。 
歌をテレビでも聴かせてくれたらうれしいですね。

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先にガンガン行かないで! 



昨夜、初めて『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』をテレビで見て、よく見かけた映画用ポスターの写真があの場面だったのか、と思いました。 ただこの場面、私にとってはちょっと残念でしたね~。
写真ではいい感じなのですが、映画の場面では、主人公が先に歩いていて、”オカン”の手を引っ張る形になっています。引っ張られた“オカン”は後ろからトコトコと懸命についていく感じでした。

子供の時は母親の手にひかれながら歩いていたのが、今は立場が逆転した、というシーンではありますが、子供と違って、お年寄りと歩くときは歩調をもっと合わせる必要があるのでは・・・

目の前に危険なものある場合なら、「盾」として、前に歩くのもわかります。
でも普通はお年寄りと歩く場合、半歩下がって、ちょっと後ろから見守る形のほうがいいと思うんです。

相手の歩くペースに合わせ過ぎて、信号が赤になって道を渡りきれなくなりそう、というヒヤリ場面もあるかもしれませんが、大体、お年寄りの歩調に合わるのがベストなのではないでしょうか。

若い人(特に異性)が道を一緒に渡ってくれるようなことがあると、お年寄りはすごくうれしいようなので(人にもよるかもしれませんが)そういうエスコートの機会があれば、先にガンガン行かないようにしたいものです。


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GW中のリニューアル 

ゴールデンウィークののんびりした時間を使ってブログのデザインを変えてみました!
いかがでしょうか~
以前のかわいいデザインもとても気に入っていて、あのテンプレートを探すのに相当時間をかけたのですが、このブログの内容にちょっと合わないかな、という気もずっとしていました。
UFOや異星人や奇跡の話をするのに、花屋さんの前のベンチではちょっとギャプがあるかな、と。
ということでシーンは洒落た街角から青空を見上げる自然へ移動しました。
空気が澄んでいそうですね。こういうおいしい空気のところに住んでみたいものです。
里山に行くと本当に空気がきれいで、大きく息を吸いたくなります。

都会の空気がいかに汚れているか、気づかされた時があるのですが、それは街中で、飴玉を口に入れたとき。口の中がにがく感じました。排気ガスのせいでしょうね。大きく呼吸して、意識を集中すると確かに空気は汚く、重く、かすかな臭いもありました。でもそれまで全く臭いに気づかなったのです。強烈にイヤな臭いでない限り、街の中では案外わからないものだと思いました。
電気自動車が普及すれば繁華街でも相当空気がきれいになるでしょうね。
そうなれば、車が走るそばのお店のテラスでもコーヒーをおいしく飲めるようになる~



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